響きの哲学 第10回 – 真中音羽(Otoha Manaka)

響きの哲学 第10回

2026-09-01 UP!

音楽は創るものか、それとも見つけるものか

「この曲は、どうやって作ったのですか?」

作曲家は、この質問を何度も受けます。

けれど、本当に答えるのが難しい質問でもあります。

もちろん技術はあります。

和声も。

対位法も。

オーケストレーションも。

DAWの知識もあります。

しかし、それだけでは音楽は生まれません。

もっと不思議な瞬間があります。

「できた。」

ではなく、

「見つかった。」

そんな感覚です。


アイデアは、どこから来るのだろう

散歩しているとき。

眠る直前。

お風呂に入っているとき。

ふとメロディーが浮かぶ。

それは、

考えていたからではありません。

むしろ、

考えることをやめた瞬間にやって来ます。

世界中の作曲家が、

同じようなことを語っています。


モーツァルトも「聞こえてくる」と語っていた

モーツァルトは、作品全体が一度に心に現れ、それを書き留めるように作曲していたという逸話があります。
創作とは「考え出す」だけではなく、「受け取る」ような体験でもあることを、この逸話は象徴的に伝えています。

もちろん、

神秘的な体験としてではなく、

創作の実感としてです。

完成形が先にあり、

自分はそれを受け取っているだけ。

そんな表現にも読めます。


ミケランジェロも同じことを言っていた

彫刻家ミケランジェロは、こんな考えを残しています。

「彫刻は石の中にすでに存在している。私は余分な部分を取り除くだけだ。」

音楽も、

少し似ているのかもしれません。

作るのではなく、

見つける。

削り出す。

受け取る。


数学者も「発見」と呼ぶ

面白いことに、

数学者たちも、

自分たちの仕事を「発明」ではなく、

「発見」と表現することがあります。

数学は人間が作ったものなのか。

それとも、

宇宙にもともと存在しているものを見つけているだけなのか。

この問いは、

今も答えが出ていません。

もし数学が発見なら、

音楽もまた、

発見なのかもしれません。


音楽は、どこに存在しているのだろう

この問いには、

二つの考え方があります。

一つは、

音楽は脳の中で生まれるという考え。

もう一つは、

音楽は世界のどこかに存在していて、

作曲家はそれを受信しているという考え。

どちらが正しいのでしょう。

私には、

どちらとも言えません。

けれど、

創作を続けていると、

「受け取った」

としか言えない瞬間があります。


『Home Within』を作っていて感じたこと

『Home Within』を制作していたとき、私は「次はこういうメロディーを書こう」と考えていたわけではありません。

まずは心を静かに整え、私の中にある「作曲空間」へと入っていきます。

そこには、清らかで勢いよく流れる滝があります。滝の下には、エメラルド色に輝く「創造の泉」が静かに広がっています。

この場所は、実際に目で見える景色ではありません。けれど、私にとっては創作を始めるたびに訪れる、とても大切な心の風景です。

その美しい景色をただ静かに眺めていると、不思議なことが起こります。

ふいに、ピアノの鍵盤の上を指がひとりでに動き始めるのです。

頭の中に流れ始めたメロディーを、そのまま鍵盤へと写し取っていく。

「作っている」というより、「受け取っている」。

そんな感覚に包まれます。

その旋律は、とても懐かしく感じられる一方で、まだ出会ったことのない未来から届いたようにも思える、不思議な響きをまとっています。

だから私は、作曲とは何かを生み出すことではなく、静かに耳を澄ませ、すでにそこにある音楽と出会うことなのではないか、と感じています。


創造とは、耳を澄ますこと

私たちは、

創造とは「生み出すこと」だと思っています。

でも、本当にそうでしょうか。

創造とは、

世界に耳を澄ますこと。

自然に耳を澄ますこと。

心の奥に耳を澄ますこと。

そして、

まだ誰も気づいていない響きを、

そっと拾い上げること。


作曲家は、翻訳者なのかもしれない

作曲家は、

ゼロから世界を作る魔法使いではありません。

世界に満ちている、

目には見えない響きを、

人が聴ける形へ翻訳する人。

そんな気がしています。

だから私は、

曲を書き終えるたびに思います。

「作った」

ではなく、

「出会えた。」

音楽とは、

創造ではなく、

発見という名の再会なのかもしれません。


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