「この曲は、どうやって作ったのですか?」
作曲家は、この質問を何度も受けます。
けれど、本当に答えるのが難しい質問でもあります。
もちろん技術はあります。
和声も。
対位法も。
オーケストレーションも。
DAWの知識もあります。
しかし、それだけでは音楽は生まれません。
もっと不思議な瞬間があります。
「できた。」
ではなく、
「見つかった。」
そんな感覚です。
散歩しているとき。
眠る直前。
お風呂に入っているとき。
ふとメロディーが浮かぶ。
それは、
考えていたからではありません。
むしろ、
考えることをやめた瞬間にやって来ます。
世界中の作曲家が、
同じようなことを語っています。
モーツァルトは、作品全体が一度に心に現れ、それを書き留めるように作曲していたという逸話があります。
創作とは「考え出す」だけではなく、「受け取る」ような体験でもあることを、この逸話は象徴的に伝えています。
もちろん、
神秘的な体験としてではなく、
創作の実感としてです。
完成形が先にあり、
自分はそれを受け取っているだけ。
そんな表現にも読めます。
彫刻家ミケランジェロは、こんな考えを残しています。
「彫刻は石の中にすでに存在している。私は余分な部分を取り除くだけだ。」
音楽も、
少し似ているのかもしれません。
作るのではなく、
見つける。
削り出す。
受け取る。
面白いことに、
数学者たちも、
自分たちの仕事を「発明」ではなく、
「発見」と表現することがあります。
数学は人間が作ったものなのか。
それとも、
宇宙にもともと存在しているものを見つけているだけなのか。
この問いは、
今も答えが出ていません。
もし数学が発見なら、
音楽もまた、
発見なのかもしれません。
この問いには、
二つの考え方があります。
一つは、
音楽は脳の中で生まれるという考え。
もう一つは、
音楽は世界のどこかに存在していて、
作曲家はそれを受信しているという考え。
どちらが正しいのでしょう。
私には、
どちらとも言えません。
けれど、
創作を続けていると、
「受け取った」
としか言えない瞬間があります。
『Home Within』を制作していたとき、私は「次はこういうメロディーを書こう」と考えていたわけではありません。
まずは心を静かに整え、私の中にある「作曲空間」へと入っていきます。
そこには、清らかで勢いよく流れる滝があります。滝の下には、エメラルド色に輝く「創造の泉」が静かに広がっています。
この場所は、実際に目で見える景色ではありません。けれど、私にとっては創作を始めるたびに訪れる、とても大切な心の風景です。
その美しい景色をただ静かに眺めていると、不思議なことが起こります。
ふいに、ピアノの鍵盤の上を指がひとりでに動き始めるのです。
頭の中に流れ始めたメロディーを、そのまま鍵盤へと写し取っていく。
「作っている」というより、「受け取っている」。
そんな感覚に包まれます。
その旋律は、とても懐かしく感じられる一方で、まだ出会ったことのない未来から届いたようにも思える、不思議な響きをまとっています。
だから私は、作曲とは何かを生み出すことではなく、静かに耳を澄ませ、すでにそこにある音楽と出会うことなのではないか、と感じています。
私たちは、
創造とは「生み出すこと」だと思っています。
でも、本当にそうでしょうか。
創造とは、
世界に耳を澄ますこと。
自然に耳を澄ますこと。
心の奥に耳を澄ますこと。
そして、
まだ誰も気づいていない響きを、
そっと拾い上げること。
作曲家は、
ゼロから世界を作る魔法使いではありません。
世界に満ちている、
目には見えない響きを、
人が聴ける形へ翻訳する人。
そんな気がしています。
だから私は、
曲を書き終えるたびに思います。
「作った」
ではなく、
「出会えた。」
音楽とは、
創造ではなく、
発見という名の再会なのかもしれません。