音楽は世界の意志の響き ― ショーペンハウアーと“魂の震え”
なぜ、ある旋律にふれたとき、私たちは涙を流すのでしょうか?
なぜ、言葉では表せない感情を、音楽だけがそっと抱きしめてくれるのでしょうか?
この問いに、あるひとりの哲学者が真正面から向き合いました。
19世紀ドイツの思想家、アルトゥル・ショーペンハウアーです。
ショーペンハウアーは、音楽を「世界の表象を超えて、意志そのものを直接に表す唯一の芸術」と捉えました。
その思想を要約するなら、こう言えるかもしれません。
「音楽は、世界の本質に最も近い芸術である。」
ショーペンハウアーの哲学では、私たちが目にする世界はすべて「表象(=現象、イメージ)」にすぎず、
その背後には、「意志(Wille)」という目に見えない根源的な力があるとされます。
この「意志」は、理性では制御できない、盲目的な生命エネルギーのようなものであり、
さえも、この意志の現れだとされます。
ショーペンハウアーは芸術を、「意志の苦しみから人間を一時的に自由にしてくれるもの」と捉えました。
つまり、芸術は意志を鎮め、観照(ただ見ること)の境地へと導く力を持つというのです。
ここでショーペンハウアーは、音楽を他の芸術と一線を画します。
音楽は、何かを模倣するわけではありません。
それでも、私たちの感情に直接触れ、魂を揺さぶります。なぜか?
音楽は、表象の影ではなく、世界の根源そのもの――すなわち“意志”を、響きとして直接に表現しているから。
旋律、和声、リズム――それらはすべて、私たちの内にある衝動、情動、存在の“震え”と共鳴する。
ここで、哲学的な逆説が生まれます。
音楽は意志をそのまま映し出す。
にもかかわらず、それを「美」として観照することで、私たちはその意志から一時的に解き放たれる。
たとえるなら、
意志をカタチにした音にふれることで、意志の支配から自由になる。それが、音楽がもたらす深い癒しなのかもしれません。
私たちが音楽に涙するのは、悲しいからではなく、
響きの奥に「本当の私」とつながる感覚があるからかもしれません。
言葉では届かない、触れられない、説明できない何か。
その“何か”が音楽というカタチで現れ、
魂の奥に静かに触れる――
それが、ショーペンハウアーの語った「音楽の真理」であり、
私たちが音楽を必要とする、最も根源的な理由なのかもしれません。
次回は、「祈りとしての音」をテーマに、
宗教や神秘の中で響いてきた音楽のかたち――声明、賛美歌、マントラなどをたどっていきます。
音が神へ届くとき、そこに何が生まれるのでしょうか。
どうぞ、次回も“音と魂”の旅をご一緒に。